アクセス | 蕨駅から徒歩13分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
天台宗山門派に属し、慈覚山清月寺と号する、浦和市の中尾吉祥寺の末寺で、寺領七石を賜っていた。
開山は慈覚大師と伝えられているが、当寺は寛永年間(1624~44)の中頃に火災に遇い、旧記、資料など一切を焼失したため、詳しいことはわかっていない。
しかし、文化年間(1804~18)に亮応師が本堂を再建したと伝えられ、本尊の虚空像菩薩は慈覚大師の作と伝えられている。
※画像は、http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/jiseiin/hondou.htmからお借りしました。
アクセス | 蔵野線東川口駅から徒歩5分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
天正元年(1573年)叡雅上人が遊行の砌、この附近に在った大杉の霊異を感じて一庵を結び、杉本坊と称したのが創建の起因であると伝えられる。
その後、文禄二年(1593年)再び叡雅上人が留錫し堂宇を 興して青龍山西光院伝福寺と改め、本尊に不動明王を安置された。
中興開山第三世長雅上人寛永年間(1624年)に薬師堂表門、客殿などを建立し、繁栄の基礎を堅固にした。
この頃岩槻城主太田氏の家臣山崎橘安信が館をこの地に移し大檀那となり厚く信仰歸依され法隆をきわめた。
以来七堂伽藍を構え門前市をなし、時には徳川将軍日光社参の際には籠をとめ小休止するという。
境内は森寂に沈み、時季折々に草花咲みだれ、木々の間には石像、 銅像の仏達ち立ち並び信心深き老若男女の参詣がたえることがない。
アクセス | 草加駅より新郷支所経由川口駅行き 峯バス停から徒歩5分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
貞和元年(1345年=南北朝時代)相模国・石橋山の戦いで敗れた源頼朝を助けた一人、飯田五郎家義に発し、現在でも歓喜院に隣接している飯田家の菩提寺として永乗法印が開いたとされています。
その痕跡として昭和37年3月、寺の墓地東側の旧道復旧工事中に、用水堀から貞和6年(1350年)二月銘の阿弥陀三尊供養碑が発見されました。
永乗法印の逆修(生前に死後の供養をすること)供養と記されています。
正式名称は「無量山 歓喜院 観音寺」。
京都東山の「智積院」を本山とする真言宗智山派に属しています。
開山以来、ほとんど無住職の寺と考えられていましたが、平成4年、本寺である安行密蔵院で古い過去帳が見つかり、それによると永乗法印のあと代々住職が寺を継いでおり、第24代住職の法印直純(享和3年=1803年入寂)まで絶えることなく続き、その間歴代住職が新堀村の開発に尽力したことが伝えられています。
法印直純の入寂後、しばらく無住職が続いていましたが、大正4年(1915年)千葉県佐倉市の出身である榊原盛輪が第25世住職として迎えられて以来、現在まで続いており、現住職 榊原秀明で27代目、副住職 榊原 正蔵と共に現在の歓喜院を支えています。
歓喜院の本堂は明治8年(1875)に焼けてしまい、その後、長い間仮の堂屋が続いていましたが1940年代に東京 稲村の普門院の本堂を再建するため取り壊すという話をきいた当時の世話人が古い本堂を買取り、歓喜院に移設することを決めました。
アクセス | 新井宿駅から徒歩で約25分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
曹洞宗寺院の金剛寺は、富雙山と号します。
金剛寺は、中田安斎入道安行(法名富雙隣雄居士)が開基となり、龍穏寺七世雪庵良筠和尚を開山に迎えて明応5年に創建したといいます。
開基中田安斎入道安行の名前から当地が「安行」と呼ばれるようになったといいます。
寛永19年(1642)三代将軍德川家光より寺領十石の御朱印状を拝領、近隣に十数ヵ寺の末寺を擁する中本寺格の寺院でした。
約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施寮は有名で、現在も「お灸の金剛寺」と称されるといいます。
※画像は、http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/kongoji/hondo.htmからお借りしました。
アクセス | 埼玉高速鉄道線「戸塚安行」駅から徒歩10分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
西福寺は、真言宗豊山派の寺で、弘仁年間(810~824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられる古刹である。
寺内には、三重塔と観音堂がある。
ここの三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約23メートルあり、県下では一番高い木造の建物である。
棟札銘文によると、この塔は、元禄6年(1693)3月27日に建立完成されたもので、かっては、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせたときもあったが、現在では廃止されている。
塔は、鉄製の釘を一本も使わず細工によって作り上げてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から二層・三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。
一層の天井付近にある「蟇股(かえるまた)」には、十二支を表す動物の彫刻が刻まれ、方向を示している。
また、入口正面にある観音堂には、西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、この一堂を参詣すれば、百ヶ所の観音霊場を参詣したのと々だけの功徳(御利益)があるとされ、春秋の行楽シーズンには、多くの参詣者で賑わうところである。
※画像は、http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/saihukuji/kannondo.htmからお借りしました。
アクセス | 川口元郷駅から徒歩で約15分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
開基は室町時代、開山は当山第一世法印宥淳和尚で、寛正元年(1460年)5月とされています。
中興開山は、第四世法印了高和尚で、大永五年(1525)6月です。
薬林寺は往古、樋の爪村(現朝日)の西を流れる野川(現芝川)のほとりに大伽藍を配し建てられていました。
しかし天正年間(1573~91年)北条氏との戦いに敗れた岩槻太田の落人が、樋の爪村薬林寺へのがれて来た時、村民が集って堂を破壊してしまい、その後再建の時、現在地へ移ったと伝えられています。
※画像は、http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/yakurinji/hondo.htmからお借りしました。
アクセス | 新井宿駅から徒歩14分 |
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営業時間 | お問い合わせ下さい |
定休日 | 年中無休 |
平均予算 |
中興開山は尊雄。
寛永5年(1628)3月1日入寂。
中興より現住職まで23代を数える。
境内にある立木は天然記念物に指定されており中でも高野槇は樹齢800年とされ、樹高18m、幹回り4m5㎝と堂々たるものである。
そのほかにカヤ1本500年以上、推2本500年以上とされている大木がある。
※画像は、http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/sinjyouin/sinjyouin.htmからお借りしました。
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